文政のころより酒造りを少量ながら手がけておりましたが、1895年10月「島本酒造部」を組織し、現在の酒蔵を新造して本格的に酒造りを家業として始めました。
創業以来技術の研鑽につとめ、戦後の苦難な時代を越え1973年に「城陽酒造株式会社」を設立いたしました。
当時は非常に困難であったリキュールの製造免許を取得し、地元青谷梅林産の梅を使った梅酒の製造を開始いたしました。
四代目である島本 稔大が代表取締役社長を務め、歴史と伝統に育まれた酒造りを新たな感覚を研ぎ澄まし、「料理を引き立て飲み飽きしない京の食中酒」を追い求め少量生産の高品質酒として酒造りにチャレンジし続けております。また地元青谷梅林産「城州白(じょうしゅうはく)」を100%使用した梅酒は最低でも3年以上熟成した長期熟成梅酒として上品な梅の個性を活かした味わいを追及しております。
京都府南部に位置する山城地域にて金融業を営む島本家の分家として、文政のころより酒造りを少量ながら手がけておりました。
その後1895年10月「島本酒造部」を組織し、現在の酒蔵を新造して本格的に酒造りを家業として始めました。
創業以来技術の研鑽に勤め、戦後の苦難な時代を乗り越え、1973年9月に「城陽酒造株式会社」を設立。戦後の好景気にも恵まれピーク時には現在の10倍ほどの製造を行っておりました。
その後、時代の変化とともに日本酒の消費量は徐々に落ち込んでいくなかで、酒造りの原点である「酒造りに欠かせない水」「原料米へのこだわり」「高品質酒のための手造り」「小仕込みによる丁寧な醸造」など良い原料を使用した手間ひまを惜しまない特定名称酒中心による醸造を中心に少量生産高品質酒の取組みを本格的にスタートしました。
現在では、京都府南部山城地域の唯一の酒蔵として、自然豊かな土地「城陽」の地酒として地域に根差した酒造りの考えのもと社長の島本稔大以下従業員数約10人の小規模蔵として、歴史と伝統に育まれた酒造りを新たな感覚を研ぎ澄まし、毎年課題を持った取組みを行い「料理を引き立て飲み飽きしない京の食中酒」を追い求めチャレンジし続けております。
1991年に当時は非常に困難であったリキュールの製造免許を取得し、地元青谷梅林産の梅を使った梅酒の製造を開始いたしました。
その頃梅酒は一般的に家庭で造るという風習が強い時代でしたが、徐々に酒蔵仕込みの梅酒が広まりました。
現在は青谷梅林産の希少な固有品種「城州白」を100%使用して最低3年以上まろやかに熟成させた長期熟成梅酒として原料を活かした高品質な梅酒造りにこだわっております。